水子供養の歴史は意外と浅く、一部の尼寺では以前から行われていましたが、全国的に広まったのは1970年頃です。
水子供養が最初に行われたのは江戸時代だとされています。
当時は7歳以下の子供は人の子ではなくまだ神の子である、と言う考え方から、亡くなっても葬儀は行われない事が普通で、水子供養という概念自体がありませんでした。
しかし江戸時代には死産率や乳幼児の死亡率が非常に高く、我が子を失くして苦しんでいる母親たちを救済する目的で水子供養が始められたそうです。
1970年頃に水子供養が広まっていった理由としては、戦後の人工妊娠中絶件数の増加が密接にかかわっていると言えます。
戦前では軍事力や労働力の確保と言う理由もあり中絶は禁止されていたのですが、戦後になると出生率抑制のため一転して中絶を条件付きで許可されました。
この結果1955年をピークに中絶件数が急増し、それを受けて中絶で死んだ胎児を弔う目的で、水子供養の習慣がブームとも呼べるほどに爆発的に広まっていきました。「水子のたたり」という考え方が取り入れられたのもこの頃です。
この「ブーム」の背景には、檀家制度の崩壊により経営難に陥った多くの寺院が、大手墓石業者と協力して水子供養を大々的に宣伝したことも影響していると言われています。